死別シンママかぶちゃん奮闘記

発達障害の子供を抱え、死別→相続→生活が安定するまでの体験談です。

発達障害の子供、幼稚園児になる

幼稚園に上がるまでの1年間。

何をしていたか、思い出しながらつづります。

私の体験談が誰かのヒントになることを願ってます。

 

幼稚園見学の予約をするだけで四苦八苦してました。

ですが、2~3園(10園くらい家の周りに幼稚園バスが走っている地域なのに)見学ができました。

その中でギャル先生の言葉通りの幼稚園が見つけられました。

やっぱり保育士って保育のプロだなぁと尊敬しました。

そこからは前以上に忙しくなりました。

さすがに無理なので、正社員の仕事を辞めて、自由がきく業務内容の会社へ転職。

契約社員ではなくパートにし、週4勤務へ変更。

その人の環境にもよりますが、少なくとも私は満足に働けませんでした。

氷河期世代でこれといって何かに秀でているような夫婦ではなかったので、高所得なんて夢のまた夢だったので。

あと将来への不安感が強いので、働いてお金を貯めたかった。

 

幼稚園側の窓口になってくれたのは、1年目の先生。

↑こかぶの担任予定で、その年に2年目になるとの事でした。

THE幼稚園の先生という感じで、手芸が得意の大和撫子という感じでした。

と言われたので、とりあえずこかぶの身辺自立状況をまとめました。

支援シートとかサポートブックと検索するとホームとか参考資料が見つけられます。

私はサポートブックにし、色んな無料ツールを確認しながら作成しました。

1歳 遅れ感じず

1歳半 喃語あり 大きな遅れ感じず

2歳 発語なくなる

2歳半 発語戻る

みたいな形で時系列でダラダラ書いたものを最初に載せました。

 

その後、必要ない場合も多いですが、発達障害とはみたいな物も入れました。

何故入れたかというと。。。

当時、発達障害について情報があふれ出した時期であり、その情報には正しいものとそうでないもの色んなものが含まれていたからです。

脳の機能障害のため、本人の努力で治ることがないという事を入れたかったのです。

今も若干療育等の関係者にもいますが、視覚支援をお願いしても慣れたら徐々に取りましょう、やめましょうと言われるのです。

勿論本人がもういらないというのなら話は別だと思います。

ゆっくりですが、成長してますしね。

視力が低い子に、眼鏡をはずしましょうなんて言わないと思うのですが。。。

 

あと本人の強く出ている特性。

偏食・聴覚過敏をメインに記載しました。

食べられる品目、食べない場合の対処方法(無理しなくていい)、温度にも弱いので食べる前に指でつついて安心してから食べる事とかですね。

聴覚過敏は苦手な破裂音(運動会の鉄砲)、普段聞き取れないことが多い事、イヤーマフを使っている事ですね。

Yahoo!ショッピング

針金タイプだと左右に開いて自分の耳に着けるのが困難だったので、こちらにしました。

 

 

あとは病院が嫌いなこと(白衣見ただけでアウト)、トイレトレーニングが終わったいない事、とりあえず生活の困難点をまとめました。

 

そしてプレ幼稚園に通いつつ資料も増やしていこうと、なでしこ先生と話していました。

プレには楽しく通ってました。

主任の先生に加配いらないですよね?と何度も確認されましたが、「絶対に必要になります」と譲りませんでした。

だってプレは月2回2時間のイベントです。

幼稚園は毎日6時間生活するんです。

生活するのに困難を抱えている旨説明しましたが、ピンとこない様子。

絵本も好きだから大人しく聞くし、歌はひらがなの歌詞ポスターがあるから歌えるし、時計もわかりやすく設置されていたので。。。

プレでもつまずくこともあります。

工作と体育でした。。。

これは説明が聞けていないことが原因ですね。

 

合理的配慮で筆談をお願いしました。

ただ、全てを先生にというのは無理な話なので、事前にわかっているものはこちらでも用意するという事にしました。

 

 

そして幼稚園に入る直前にもう一度、発達検査をしました。

この時はDQ=88でした。

が、相変わらず口頭のみの指示は伝わらず、目の前で見本を見せると出来るという状態でした。

このくらいの時期は、子供のリビングでの居場所はヨギボーでした。

これをよくモニュモニュ握ってました。

今はほぼ使いませんが、イライラした時のために学校においてあります。