死別シンママかぶちゃん奮闘記

発達障害の子供を抱え、死別→相続→生活が安定するまでの体験談です。

【発達障害】支援級が倍増、先生も倍増~なんだけど支援は手薄。先生不足問題。~

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始業式が終わり、2年目の支援級がスタートしました。

こかぶの学校は支援級の歴史が浅いですが、年々支援が必要な子が増えているのか、普通級から転籍する子もいてクラスの数はかなり増えました。

 

こかぶは小三になり、人数構成からもう上の方の学年になってます。

※高学年の子は支援級がない時代の入学なので、支援級を考えている人は他の学校に行った

 

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本人なりに低学年の子のお手伝いをしているようですが、どうも近くをウロウロして助けられるよとアピールしているようです。

素直に手伝おうかとはならないですね(;^_^A

 

 

そして新学期はじまってすぐは学活ばかり。

ひとまず支援級のメンバー確認や係などの決定。

支援級でのクラス運営に必要な話ですね。

 

 

3日目にして給食がスタートします。

授業予定は支援級で受ける体育とかでした。

よって普通級への交流はまだありません。

ただ2年目なので、自己紹介の時間にはいくようですが。

 

と思っていたら、急遽交流級の先生から「算数やるけど来る?」みたいなお誘いがかかり急遽行く事に。

 

↑結構こういうの多いんです。

予定があっても、イレギュラーが多いので、この辺の変更に耐えられるかが、交流級で授業を受けるために必要なスキルかなと。

勿論急な予定なので、行けなくなる子もいます。

 

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だから幼少期からスケジュールがあって、それ通りに動く事、理由があってスケジュールが変更になる事もあるというのを学ぶ必要があると思ってます。

 

そんなたいそうな事ではなくて、

①幼稚園

②スーパーA

③おうち

 

みたいなスケジュールをこなして、変更する際には理由を説明。

雨だからとか。

①幼稚園

②スーパーB

③おうち

 

これを絵や写真と読めなくても文字をセットにして都度やる。

 

今は変更になったという事は、何かしら理由あるのかなと察してくれる能力がつきました。

※本来鍛えなくてもある能力なんでしょうけど。

 

 

支援級1年目は交流するまでゆっくりでした。

始業式の翌週くらいまで交流なかったですね。

その間に、授業は当然進んでます。

去年は、筆算のたし算だったので、やっててよかった公文式という事で難なく追いつきました。

 

スランプ中ですが。。。

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1年生に関してはその子による部分もあるので、1年間ほぼ交流無しの子もいますし、大体が1学期は交流がなくて2学期からというのがというのがこかぶの学校の1年生パターンのようです。

世間はどうなんだろう。

 

 

そして口頭指示は相変わらずなので、こかぶは聞き取れない事が多く、今日何したの?と聞いても先生が何か説明していたみたいな事が多いです。。

良く聞こえないから、聞く気にもなってない模様。。。

 

 

生徒8人で1クラスというのがベースですが、見ている限り先生一人で8人見るのは無理があります。

国の決定だから仕方ないのかもしれませんが、特製のある子だと4人でもケースによっては大変かもしれません。

先生方がもっと余裕をもって、色んな子に支援をしたいと思う心の余裕があるくらいの人数配置であって欲しいです。

それこそWISKーⅣとかの検査結果を上手く使えないのかな。

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こかぶは新一年生に小柄な子が入ったようで、その子のランドセルが大きいといって気になってます。

ランドセルのサイズじゃなくて、体とランドセルの比率の問題だと思うのですが。。。

そのあたりに気付いてないのが、まだまだこかぶが子供ってことですね。

 

 

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